中国/頤和園(いわえん)
【場 所】
中国/北京市
【登録範囲】
北京市中心部より北西約15kmにある、敷地総面積、約297万uの庭園。
【登録基準】〜文化遺産@AB〜【1998年登録】
人類の創造的資質を示す傑作。時代を超え、建築・技術・都市計画及び景観の発展に大きな影響を与えたもの。
現存する、あるいは消滅した文化的伝統・文明に関する独特な証拠を示すもの。
中国/頤和園(いわえん)についての解説
【中国/頤和園(いわえん)】
12世紀中頃に建設された小規模な離宮を前身として、1750年、清の幹隆帝が広大な庭園に整備したものです。1860年、第二次アヘン戦争中に大きく破壊されましたが、1891年、西太后が復元し、頤和園と命名したのです。
敷地内には高さ約60mの万寿山、西湖を模した人口湖の昆明湖が造成されたほか、西太后によって豪華に改装された仏香閣、政務を執る場所となった仁寿殿、劇場の大戯楼など、数々の建造物が点在しています。
築山(つきやま)や石、池、植栽などで自然景観を模倣した庭園は、建物や楼閣、橋と見事に調和した中国の庭園様式を大表するものです。それらは、その後の日本や中国、朝鮮半島の庭園に大きな影響を及ぼしました。
※第二次アヘン戦争=1857〜60年。
清王朝と英仏連合軍の戦争。中国船アロー号の船員逮捕がきっかけになったことからアロー戦争とも言います。
※西太后=1862〜1908年に絶大な権力を誇った女傑。
清王朝末期、息子同治帝と甥の光緒帝の治世に権力をもちました。
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